悪意の手記

読了いたしました。

中村文則先生の著作です。

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死に至る病に冒されたものの、奇跡的に一命を取り留めた男。
生きる意味を見出せず全ての生を憎悪し、その悪意に飲み込まれ、ついに親友を殺害してしまう。だが人殺しでありながらもそれを苦悩しない人間の屑として生きることを決意する-。

人はなぜ人を殺してはいけないのか。
罪を犯した人間に再生は許されるか。

『 手記 1 』『 手記 2 』『 手記 3 』という構成で、15歳から25歳までの〈私〉が客観的に語られています。

これって…
ドストエフスキーの『地下室の手記』と同じ手法ですね。
括弧を使って主観的になりすぎる部分に客観的注釈を挟むスタイルも似ています。

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読み進めているうちに感じたのは、中村先生の作品の中で描かれる『善』と『悪』がカント的だということ。

ビンゴでした!(もし違っていたらすみません)

作中で、主治医が主人公にカント哲学の話をする場面があるのです。

ああ、やっぱり!と思いました。

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カント的善悪の基準が

自分自身の本心に忠実に従って生きているのかどうかということ。

意識的にも無意識的にも、自己を欺きながら生きる人間が『悪』のモデルであって、それは裏を返せば『自己愛』に浸っているだけだ…

ということであれば

中村先生が表現したかったことはコレなのかな?と思いました。

それから…

作中に出てくる『血栓性血小板縮減性肥大紫斑病院(TRP)』…

こんな疾患はありませんので

多分『血栓性血小板減少性紫斑病(TTP)』を捩ったのではないかと思われます。

血栓性血小板減少性紫斑病…末梢の細血管が血小板の凝集塊によって閉塞され、血小板減少症、溶血性貧血、腎機能障害、発熱、動揺性精神神経症状を引き起こす重篤な疾患。

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